私、グレーゾーンです。

2年前、ADHDとアスペと診断されたグレーゾーンの女の奮闘記。

1リットルの涙から学ぶ障害や病気について。

今、1リットルの涙という2005年に放送されたドラマを改めて見返している。

 

1リットルの涙は家族のあったかさもそうだが、関ジャニ∞錦戸亮くんと沢尻エリカさんの絡みが好きで、少し恋愛というか青春を感じるシーンがちょこちょこ入っており、重い内容が少し柔和されているというか、見やすくなっている。

 

13年前のドラマなのだが、色褪せない内容と、現在日本を代表する俳優となった沢尻エリカさんと錦戸亮くんの初々しい姿を見ることのできるドラマである。

 

そのドラマは障害を持っている私にとってもとても考えさせられる内容であったり、主人公が弱みを見せつつも、とても強い女性であることがうかがえる。

 

障害は見た目では分からない、人それぞれである。

日本という国は皆1つは持病を持っていると言われている。

軽度重度関係なく、生まれつき足が不自由な人、耳が不自由な人、盲目な人、あるいは花粉症、アレルギー体質、疲れやすい人、うつ病、私みたいに発達障害の人...

障害や病気を言っていたらキリがないと思う。

 

みんな持病を抱えて行きている。健康な人を探す人の方が少ないであろう。

 

そんな持病の辛さ、程度ってのは本人しかわからないもんであるし、障害をバカにしてはいけないと思う。

 

6話のシーンで、沢尻さんが演じる主人公亜也の弟である真田佑馬くん演じる弘樹がいじめられるシーンがある。

「俺の姉ちゃんは美人だし頭もいいしスポーツもできるんだぜ」

と同じサッカークラブのチームメイトに自慢するのだが、

亜也と成海璃子が演じる妹、亜湖が買い物をしているところをチームメイトが見てしまう。

「お前の姉ちゃん、歩き方変だったじゃねえか」

と小学校高学年なら精神的にも子供だしバカにするであろう。

ある日、亜湖が弘樹の忘れ物を届けに言った際、

「池内のお姉さんですよね!僕達にもサッカー教えてください!」

とチームメイトは駆け寄るが、いじめっ子は

「そっちの姉ちゃんじゃないんだぜ。もう1人の姉ちゃんまともに歩けないから歩き方教えて貰えば?」

と弘樹と亜湖に対して言う。

懸命にリハビリをし、自分の障害と病気と向き合っている姿を見ている亜湖は頭に血が上り、

「あんたなんか、スポーツ資格はない!」

と言い、弘樹を引きずり家まで連れて帰ったという話です。

 

私はADHDアスペルガーを持っていて、適応障害と、重めのPMSという二次障害も多少だが持っています。

 

でも、その障害もだが、定型の人がもっと分かりやすく言うのであれば、花粉症や摂食障害精神障害など自分が持っている持病の程度ってのは人によって違うし、特性も人によって全く違うのだが「発達障害」と一括りにされがちなのはちょっと違うと思います。

 

これも一リットルの涙からなのだが、

亜也が病気により下半身不随になってしまい、障害者手帳を取得しなければならなくなったのだが、父親の陣内孝則さん演じる瑞希は自分の娘が障害者になる、障害者のレッテルを貼ると言うことを受け入れられなかったのだが、母親であり奥さんである薬師丸ひろ子さん演じる潮香と障害者手帳について喧嘩をしている姿を娘や息子に見られてしまうシーンなのだが、

その際、家族全員に向かって潮香が

「すべての身体障害者は、自ら進んでその障害を克服しその有する能力を活用する事により、社会経済活動に参加する事に努めなければならない」

「努めなければならない」

「亜也は社会から努力することを求められているの」

身体障害者手帳は亜也が社会の一員である事の証明なの」

と言ったんですよね。

 

「手帳を持っているから」

という偏見はしてはいけないと思うし、

「障害者とは友達になりたくない」

って、健常者や定型発達の人なら誰しも思うことであろう。

でも、「障害者だから」という一括りにしてはいけないと思う。

 

 

ちなみに私も知的障害者と、ダウン症は怖くて、いまだに近づけない。特に感覚過敏を持っているから大きい声がダメで大きい声を発する知的障害者に関しては苦手意識が強い。(人間誰しもそうだろうが)

 

 

同情は悪いことなのか?

よく「同情して欲しくない」

という意見を目にする。

あと、「同情するなら金をくれ」

という流行語もかつてはあった。

 

同情(どうじょう)とは、他者の感情に対し共感する感情の同一性を指す。
ただし、共感とは異なる。
英語におけるSympathy(同情)の語源としては、ギリシア語より由来し、
共に苦しむこと、感情が同一になることを指している。
これより転じて、同情とは他者の苦しみに応答して、自らも苦しむような感情を持つ。

 

同情はいけないことなのだろうか?

1リットルの涙でも、主人公の亜也の父親である瑞希

「俺なあ、取引先*1を増やしたと言っただろう?あれは亜也に対する同情なんだ」

と発するシーンがあるのだが、

対して亜也の母である潮香は、

「同情するって悪いことかな?同情って他人と同じ身になってその感情を共にすることでしょう?」

と言ったんですよね。

 

私自身、よく「障害を持っててつらいね」「大変だったね」なんて言われるがそれって同情であると思う。

「そんな他人事ならなってみろよ」

なんて思うが、他人にならないのが人間。

 

どうせ障害者の気持ちになるなら、

共感してほしいよね...

って思うのが現実。

 

共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。

Wikipediaより

 

「辛かったね」とか、「大変だね」

なんてありきたりだし、誰にでもかけられる言葉でしかないと私は思うのだ。

 

特に、私みたいなアスペルガーの人にとっては、「同情」することはできるかもしれないが、「共感」することは苦手であろう。

「共感する」と言うことができたら今までどれだけ人間関係が円滑にできたのだろう?

アスペルガーの人は一回は誰しも考えたことのある話題だと思う。

 

私も同情は一応できていると思うので。

 

まあ、話は飛躍しすぎたし、まとまりのない文章になってしまったが、

●障害をバカにしてはいけない

●障害の程度や能力を決めつけてはいけない(特に定型発達者はしがちである)

●一人一人障害は違うのである

●定型発達者は「同情」ではなく、「共感」をしてほしい

 

と言う話題でした。

 

 

*1:亜也の家は個人経営の豆腐屋