私、グレーゾーンです。

2年前、ADHDとアスペと診断されたグレーゾーンの女の奮闘記。

グレーゾーン女はちゃんとした職歴がないってお話。旅館編

どうも、めぃぃぃぃぃです。

私は高校を卒業して三年が経ちます。

「今まで何してきたんだろう?」

「やがて、一年したら大卒の子と同じ土俵で働かなければならない」

「定型発達だったらどんな生活してたんだろう?」

 

と日々考えますが、発達障害のグレーゾーン女の身になっていないであろう職歴をお話ししたいと思います。

 

 

旅館で1ヶ月間、二次障害が出る。

グレーゾーン女は、なかなか就職先が決まらずそこのOBであった社長のご厚意で個人経営の旅館のフロントスタッフとして就職しました。

 

仕事内容は、

  • 電話応対
  • 会場設営
  • 雑用(洗濯物を干す、事務所掃除、ヘルプなど)
  • コピー取り
  • 接客

などなんでもしてました。午前中、午後3時くらいまで毎日時間に追われるような形でした。

 

アルバイト経験のない私は「仕事をする」

という意味がわからず、そこの主任に

「ねえ?社会人としての自覚ある?」

と入社して1日で説教をくらった記憶があります。

 

社会人としての自覚もなく、とても学生気分でした。遅刻をしなければいい、体調コントロールをすればいい としか思ってなかった自分は、その主任が言っている意味が理解できませんでした。

 

毎日怒られていました。

例えば、

「なんでお客様用入り口から出入りして、従業員入り口から出入りしないの?」

と指摘をされ、

「え?だって皆さんだってしてるじゃないですか?」

と反論していました。

 

お客さんの送り迎えにて、雨が降ったら傘をさしてあげなければならなかったのだが(テントらしいものはついていない)

「ねえ、もう少し高くしてくれる?それじゃお客さんが濡れる」

と指摘され、

「身長が小さくて難しいです」

と言っていたくらいです。

 

指摘されるのが嫌なのと、ADHDの特性上、動いとかないといけない私は事務のスタッフに何も言わず、黙って他のパートのおばさんのお手伝いをしていたくらいです。(笑)

 

何より私が辛かったのは退勤までの2時間、「いらっしゃいませ」と言い続けることと、

お客さんの予約票を手作りしないといけなかったことと、電話応対ですね。

 

 

多動である私にとってじっとして

「いらっしゃいませ」

と言い続けるのはとても苦痛でした。

入社してすぐらフロント業務は女将さんなどがしてくれて、私はお客さんに対して

「いらっしゃいませ」

とひたすら2時間言い続けるだけだったんですよね。

ヒールが苦手なので特にヒールを履いたままがどんだけしんどかったか...

 

あと、予約表を手書きでいつも書いていたのですが、線が歪むことに指摘をもらうことがほとんどでした。まっすぐ書こうと慎重に書いても歪むんです。特性上なんでしょうけども。

 

何より電話応対が難しくて。内線か外線か知らせてくれるブザーというか、信号機みたいな?なんとも説明し難いのですがそんなものの見分け方がわからず...

 

「同じことは何度も言わせないで」

と言われるから聞けなかったり。

(発達障害者あるある)

 

 

電話応対しようとして電話に出ようとすると、

何故か覚えてないけれど社長に、

「もうめぃちゃんは電話出なくていいよ、他の業務して」

って言われた記憶があります。

 

他にも嫌だったのが、コンパニオン...

ホテルというか旅館って酔っぱらいが多くて酔っぱらいの絡みが面倒くさかったのと、

ボディタッチとかもあってセクハラだったんですよね。

それも

「やめてください」

なんて言えないし。

 

あと、嗅覚過敏でとにかくタバコの匂いがダメな私は、私以外が喫煙者で事務所内は常にタバコの煙が黙々としていて、マスクをしても貫通するんですよね。

 

それなのに接客業だから

「お客さんの前ではマスクを外しなさい」

と女将さんに言われたので、

マスクはできなかったです。

 

 

他には、自動車学校が延長しちゃって(人の倍は乗ってます)自動車学校と仕事の両立をしていて、朝8時に会社に着いて、朝の9時半まで仕事をして2時間車に乗って、そこから1時まで休憩をとって8時まで仕事をしていたのかな?

そういう生活を15日くらいかな?続けた私は、、、

 

急性胃腸炎になりました。

39度の熱があって会社に出勤して、周りに熱があるという旨を伝えると、

「帰ったほうがいい」

と言われて、家に帰って直ちに日曜だったために当番医に行ったら、

「胃腸炎ですね」

と言われたんですが親が、

「39度の熱があるのに、インフルじゃないっておかしいやろ!!!」

ってブチギレていた記憶があります。

 

結局、急性胃腸炎で二週間くらいかかったのかな?

一週間くらい経って女将さんに

「ここは体力勝負なのに入って体調崩すって大丈夫?休みも他より40日ほど少ないし、(休日数84日)本当に出勤できる?」

って聞かれて

「辞めるか辞めないかはっきりして!」

と言われた私は退職しました。

 

業務内容は問題がなかったのですが、

同族経営なために周りがヤニ臭いのが耐えられないのと、休みもの数の少なさと、その割に15日ほど働いているのに給料が手取り2万しかもらえなかったのはあまりにブラックでしょ...

 

定時に上がれるのは良かったんだけど、タバコの匂いで鼻が曲がりそうでした。

ガンになりそうだし、良かったかなあ?って。

 

まあ、そんなこんなで1ヶ月もしない私の旅館のフロントガール生活は終わりました。こんなしてるけど、急性胃腸炎にかかった一年後に、震災で苦しむとは私は想定してなかったですけどね。